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Yellow Roof 's Museum
2017/05/27
全国都市緑化よこはまフェア (山下公園)
里山ガーデンは第2会場で、本会場は山下公園というので、こちらも母親の付き添いで訪ねることにした。
全国都市緑化よこはまフェア (山下公園)
「全国都市緑化フェアは、国民ひとり一人が緑の大切さを認識するとともに、緑を守り、愉しめる知識を深め、緑がもたらす快適で豊かな暮らしがある街づくりを進めるための普及啓発事業として、昭和58年(1983年)から毎年、全国各地で開催されている花と緑の祭典です。」(公益財団法人 都市緑化機構)
全国都市緑化よこはまフェア (山下公園)
公益財団法人 都市緑化機構によれば「都市緑化をテーマとした30年以上の歴史を持つイベントです。他の緑のイベントと比較しても、イベント集客力の効果は非常に高く、安定した集客が期待できるイベントです。」
全国都市緑化よこはまフェア (山下公園)
全国都市緑化という言葉から自分が浮かべていたイメージは、日本庭園や里山の風景の再現で、日本の固有植物で囲まれた暮らしだったが、そうではないようだ。
全国都市緑化よこはまフェア (山下公園)
開国以来、都市部から外来種の移入は加速度的に増え続けている。近年は、遺伝子解析で日本固有種と思われていたものが次々と外来種であることが明らかになってきてもいる。ただ、生態系などに甚大な被害を及ぼすとされて侵略的外来種に指定されているものは数えるほどしかない。
全国都市緑化よこはまフェア (山下公園)
この光景は店先を広げた花屋のようで、空き地を放っておいてもこうはならない。これが自然に見える人もいるのだろうか。
氷川丸 (山下公園)
自分が幼稚園に通っていた頃、母親は氷川丸のレストランで夜遅くまで働いていた。その頃は従業員のための浴室があったという。1961年から1973年までは氷川丸観光株式会社が運営しており、家族や親戚でレストランで食事をしたことも何度かある。船の区切りに合わせて食事処は何箇所かに散らばっていて、デッキにはビアホールがあり、小規模な水族館もあった。
かもめの水兵さん碑 (山下公園)
「碑を建てることば/作詞者 武内俊子さんは昭和八年の秋ある日このメリケン波止場から船で布教のためハワイへ旅立たれる叔父さんを見送りにこられました それはよく晴れた日の午後のことで桟橋一帯に白いかもめがたくさん飛びまわりそれが折からの夕日に映えてとても美しく印象的でした この童謡はこのときの光景を描いたもので横浜港は「かもめの水兵さん」の発祥地であります/昭和五十四年十一月 野間省一」
ホテル・ニューグランド (山下公園)
1859年に横浜は開港して数十年で大都市となった。1923年の関東大震災の瓦礫の上に山下公園が開園したのは1930年で、1935年にはここで復興記念横浜大博覧会が開催された。
全国都市緑化よこはまフェア (山下公園)
水瓶を持った水の守護神像は、横浜市との最初の姉妹都市となったサンディエゴ市から1960年に贈られたもので、12月4日の記念式典では西区平沼町出身の渡辺はま子が有志と共に「うるわしのサンディエゴ」を合唱したそうである。
氷川丸 (山下公園)
現在氷川丸は日本郵船の運営に戻っており、内部は竣工当時に近い状態まで復元されている。隣の船は観光船のマリーンシャトルで船内で軽食が楽しめる船だったが、横浜港周遊の定時運行を利用しないまま2021年7月で35年の就航を終えた。現在はマリーンルージュが就航しているが、予約運行である。
氷川丸と港 (山下公園)
山下公園の海辺に降りる階段は現在は立入禁止となっているが、幼い頃は開放されており、沖から泳ぎ着くワタリガニを2匹捕まえて自宅に持ち帰ったことがある。風呂場の洗面器に塩水を入れてしばらく飼ったのだが、3日か4日のうちに浴槽の下に逃げ出して死んでいた。今でもワタリガニが捕れるそうである。
全国都市緑化よこはまフェア (山下公園)
都市の緑地化とは、個人レベルではガーデニング、自治体レベルでは土木造園技術を組み込んだ都市デザインのことで、それが集客力がある観光資源となりうることを具体的に提示するのがこの都市緑化フェアである。既にある野山や自然林や自然水系が観光資源となっている都市でも観光ルートの緑化整備によって観光客の増加が期待できるそうである。
横濱ドラゴンボートレース (山下公園)
母親は全国都市緑化よこはまフェアの賑わいや花壇より、偶然出会した横濱ドラゴンボートレースの方に見入っていた。幅1メートルそこそこの20人乗りボートで、漕手は渡し板の両側に2人ずつ座ってそれぞれ片側の水を漕ぐ。船首の太鼓に合わせて身体を前傾させてオールを前方の水面に垂直に差し込む。深く速く漕ぐほどスピードが上がるので太鼓はスタートから段々と速くなる。船尾に立つ人は舵取りの役目である。
横濱ドラゴンボートレース (山下公園)
横濱ドラゴンボートレースは、1994年から第13回横浜どんたく開港祭のマリンイベントとして初開催されたのが最初である。レースを見るのは初めてだが、練習か講習をしているのを江ノ島の方で何度か見かけたことがある。カヌーと同様に底が浅くバランス次第で容易に転覆するため全員が救命胴衣を身に着けている。山下公園にはFM YOKOHAMAのテントがあり、スピーカーで実況が流されていた。
大桟橋屋内の窓から見えるベイブリッジ (大桟橋)
実に久しぶりに訪ねた大桟橋は展望デッキとイベントスペースと化していた。昔は小さな土産物屋がひしめきあう賑やかな場所だった。
大桟橋デッキ (大桟橋)
大さん橋で母親は「何もなくなった」と口にした。
北光丸の模型 (大桟橋)
北光丸は実際にあった帆船ではなく、旧函館商船学校で机上操帆訓練用教材として大正12年に制作された模型で、全長6.5メートルある。
北光丸 (大桟橋)
昔の大桟橋にはたくさんの飲食店や珍しい舶来品などを扱う土産物屋が立ち並んでおり、羽田空港のような人の往来や賑わいがあった。屋内が巨大なイベント空間であることを歩いて確かめ、自動販売機で買った缶ジュース片手に窓から見える港の景色を眺めて一休みし、船の模型をしばし眺めてこの場を離れた。
Yellow Roof 's Museum