Yellow Roof 's Museum
黄色い屋根の博物館
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2025/02/08


富士山 (横浜市旭区今川公園)
今川公園の南西から望む雪に覆われた富士山。除雪しているためか山頂へと続く登山道もはっきり見える。


富士山 (横浜市旭区今川公園)
昨年あたりからフィルムカメラ人気が再燃している。単にアナログならではの画質の再認識や流行ではなく、アナログレコードの再燃と同じく根底にはデジタル社会への反動がある。これに気付いたのは若い世代の愉しみ方が昔と変わらないからで、写真を撮るまでの手間や現像を待つまでの時間、それまでどんな出来か判らないことも、ピンボケやブレも唯一無二の味わいとしてアルバムに納めていくことも、手間と時間がかかるアナログなプロセスごと愉しむ逆の価値観や魅力のある新たな文化として復活したり存続していくものなのかもしれない。


富士山 (横浜市旭区今川公園)
古い時代を知らない若い世代の方がアナログとデジタルの違いやAIの欺瞞や欠点や限界に気づきやすいかもしれない。楽するために便利なレールに乗って気づく能力まで手放していくのは老人ばかりで、若い世代は初めから敷かれたレールに物足りなさや違和感を抱いていて、古くから変わらない事物を知り昔ながらのやり方を体験して自分自身がアナログな存在であることに気付いていく。


今川公園 (横浜市旭区今川公園)
動植物と同じく人はアナログな生物であり、歩かなければ筋力を失って歩けなくなってしまう。やらなければ出来ることもなく、やらなくなったことは次第に出来なくなっていく。


今川公園 (横浜市旭区今川公園)
カメラを持っていても使わなければ自分の技術や能力は培われず、実践知識も身に付かない。自分も最初は写真から大きさや距離が判るはずと思い込んでいたが、それは持ったものが何kgか判ると思うのと同じである。今では写真からおよその大きさが判るようになってきたが、それは現物を実測して写真と見比べるといった経験を重ねて段々と体得されてくるもので、簡単に身に付くものではない。


カンザン剪定 (帷子川遊歩道)
清来寺近くの遊歩道沿いのカンザン(関山)が剪定されていた。塗布剤が塗られた跡はほとんど見ない。近頃は効果が疑問視されて生態系への悪影響も懸念されており、湿気を閉じ込めて却って腐朽を招くことがあると指摘されている。現在では適切な選定技術を駆使して自然治癒力に任せるのが主流である。日本では長く慣習として残っているが、欧米や近隣諸国ではほとんど使われていない。


カンザン剪定 (帷子川遊歩道)
水平に切って下にも切ったのは元々裂けていたのかもしれないし、失敗の跡かもしれない。しかし、他の木と違ってこの木の切り口は滑らかで塗布剤も塗られていない。ちなみに横浜市環境創造局の公園緑地等維持業務共通仕様書(令和2年1月)では「太い枝(概ね直径15cm以上)を剪定した場合は、必要に応じて切り口に殺菌・癒合促進剤を塗布する」とある。


遊歩道の舗装工事 (帷子川遊歩道)
歩道側の枝を除伐したのは舗装工事の都合かもしれないが、掲示には特に書かれていない。ただ主管が旭土木事務所なのでおそらくそうだろう。この日、桜に絡みついた蔓性植物や根回りの雑草を長鋏みで切って歩く一人の老人に遭遇した。確かにそうしておけば樹勢は衰えず、長持ちするかもしれない。


カワセミ (横浜市旭区帷子川)
このカワセミは5メートルほど先の枝で留まったままだった、母親と話をしながら移動して写真や動画を撮っていても頭や羽根を動かすだけである。人には自分に危害を加える能力がないと学習した個体だろうか。餌探しに集中しているのかもしれないが、明らかに人に対する慣れがある。


カワセミ (横浜市旭区帷子川)
カワセミには縄張りがあり、この付近で見かけるカワセミは同じ個体である可能性が高い。カワセミからすれば巣の近くや餌場の近くを通りかかる人々の行動パターンを記憶しておくぐらいは生存のために重要な戦略の一つだろう。


ミツマタの蕾 (下川井町)
ミツマタが見られるところは自分の行動範囲では1箇所しかなく、それも頻繁に通る道からは外れた個人宅の生垣である。情報としては大池公園の「チョウのための食草ガーデン」にミツマタが生育しているようだが、自分は誰に教わりもせずここで見つけた。自分が自然から得てきたことは識別力や観察力、行動力といった技術や能力で、それがなければ案内無しには何も見つけることはできない。


サザンカの花 (横浜市旭区今宿南町)
サザンカの花期は一般的には晩秋から冬でツバキは冬から初春までである。自分の行動範囲でサザンカを多く見かけるのは庭先によく植えられているからだろう。母親はツバキは首が落ちるから嫌だと言い、実際にもツバキよりサザンカが多く植えられる。しかし、ツバキ好きには通じない。自分の好き嫌いといった価値観に自分で縛られるのは人間ぐらいで、それが理解を阻害することに気づくかどうかが人としての能力や人間性や社会性の分岐点になることもある。


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