Yellow Roof 's Museum
畠山重忠公碑
畠山重忠公碑のクロガネモチ (横浜市旭区畠山重忠公碑) 2022/10/22
クロガネモチの名はサンゴジュを調べた時に画像検索で何度か上位の方に出てきていたが、初めて本物を認知したのは畠山重忠公碑の入口である。鶴ヶ峰駅への交差点にあり中学生時分から知っているが、整備されてから入るのは初めてのことだ。たぶん40年ぶりである。
畠山重忠公碑のクロガネモチ (横浜市旭区畠山重忠公碑) 2022/10/22
畠山重忠公碑のクロガネモチは6~7メートルほどで、実は南側には多く付いているが、碑側は北側で実が少ない。クロガネモチは白っぽい木肌と黒に近い紫色の葉柄が特徴で、実は葉の付け根に生る。
畠山重忠公碑からの景観 (横浜市旭区畠山重忠公碑) 2022/10/22
今は碑の下に帷子川捷水路トンネルがあり帷子川が流れ込んでいるが、50年ほど前はこの高台を迂回して流れており、周囲には畑もあった。藪の中を分け入ると碑があり、ヤマドリやウズラなどが棲んでいるのを何度か見掛けたことがある。たった50年前とも違っているのだから800年前は地形も自然もまるで違っていただろう。
畠山重忠公碑のクロガネモチ (横浜市旭区畠山重忠公碑) 2022/11/19
このクロガネモチは碑が出来た以前からあったものなのか、それともその後に植えられたものか調べても何も出てこないが、隣の4階建てのマンションと同じぐらいの高さである。
帷子川捷水路トンネル上の畠山重忠公碑 (横浜市旭区帷子川) 2022/11/19
畠山重忠公碑の下に川を通すトンネルが出来たのは1988年で、それまで帷子川は離れたところを流れていた。大規模な河川工事は今も続いており、かつて自分が知っていた帷子川とは位置も様相も変わってきている。自分が今宿南町に移り住んできた頃は投棄された廃材が目立ち排水で泡立っていることもあり、しばしば台風で氾濫する暴れ川でもあった。母親が星川に住んでいた頃は夏には泳いたそうで、反物の水洗作業をする川でもあった。上星川には古くからの染物工場が今もあるが、現在は川の水は使っていない。
畠山重忠公碑のヤダケ (横浜市旭区畠山重忠公碑) 2022/12/29
ヤダケは矢の材料として武家屋敷に植えられていたと云う。高さは2メートル以上、葉も20センチ以上はある。
畠山重忠公碑直下の帷子川捷水路トンネル (横浜市旭区帷子川) 2022/12/29
国土交通省の説明によれば、捷水路(しょうすいろ)とは「河川が弓のように曲がっている部分をまっすぐに直して、洪水を安全に流し下すために削り開かれた人工の水路をいいます。」
畠山重忠公碑のウメの蕾 (横浜市旭区畠山重忠公碑) 2022/12/30
点々とした粒はつい実だと思ってしまうが、実ではなく芽である可能性もある。
畠山重忠公碑から見下ろす帷子川 (横浜市旭区帷子川) 2022/12/30
正面が希望ヶ丘から二俣川へと続く支流で、右側が帷子川の本流である。昔は本流は右上のマンションの前を流れていて、公園のところは畑で、そこまで丘陵があって商店や飲食店、住宅が建っていた。かつてここにはアルバイト時代の同僚の家があり、偶然出遭って飲み屋で何回か話をしたことがある。どこに移り住んだのかは知らない。飲み屋ごと消え失せた。
畠山重忠公碑直下の帷子川捷水路トンネル (横浜市旭区帷子川) 2022/12/30
帷子川捷水路トンネルが完成したのは1988年3月である。
畠山重忠公碑のヤダケ (横浜市旭区畠山重忠公碑) 2025/03/15
北条の軍勢と戦い、矢に当たって42歳の生涯を閉じた武将の史跡である。鎌倉時代から残っているものは、歴史と地名ぐらいのものだろう。「このさかさ矢竹も昭和四十年代の中頃までは、現在の旭区役所北東側の土手一面に繁っていた」と由来にある。景観は変わるもので、時は誰にも止められない。
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