Yellow Roof 's Museum
長屋門公園
長屋門公園案内図 (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2022/09/25
この日初めて長屋門公園に行ってみた。といっても水の森公園からは歩いて5分ほどしか離れていない。ただ、既に夕方だったのでほとんど写真は撮らなかった。
阿久和川の源流 (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2022/10/02
この公園には阿久和川の源流の一つがある。
横井戸 (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2022/10/02
「水が豊だった、この地域では、横を穴掘っていく「横井戸」が活躍していました。この横井戸は、左・右・正面の三方に掘られています。横浜市」
横井戸 (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2022/10/02
長屋門公園には植物の名札はないが、立札ならある。
長屋門 (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2022/10/02
長屋門の中には和泉区和泉町から横浜市に寄贈された18世紀末の旧安西家主屋が移築されている。左は土間への入口である。
長屋門 (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2022/10/02
長屋門自体は1887年にこの地に建てられたもので、正式には旧大岡家長屋門という。二階はかつて養蚕に使用されていたそうで、戦後はしばらく診療所として用いられてもいた。門の左は納屋土間から土蔵(穀倉)へと繋がる構造になっている。
長屋門 (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2022/10/02
長屋門の右側が住居部分で、やや広い間口がある、二階は住居と養蚕室に使われていた。現在は管理事務所と集会室になっている。
長屋門に続く竹垣 (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2022/10/02
長屋門から左の坂を少し行くと今ではあまり見ない竹垣が続く。
長屋門公園ほか1公園施設改良工事 (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2022/12/24
長屋門は昔は野山と湿地帯だったところに立つ診療所だった。
水源池 (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2022/12/25
水源から約300メートルに亘って小川が流れており、湿地帯の一部は自然保護のため立入禁止になっている。
長屋門公園の掲示板 (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2022/12/25
シロダモの花は確かに咲いており、実の時期も終わってしまっていた。
長屋門公園の掲示板 (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2022/12/25
長屋門公園には掲示板があり、自然観察会での写真が貼り出されていた。
古民家裏の歩道 (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2022/12/25
旧大岡家長屋門は明治時代からここにあったもので、近年まで診療所として利用されていた。1987年に横浜市に寄贈されてからは公園の管理事務所となり、様々なイベントを開催している。
長屋門公園のヒグラシ (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2023/08/12
ヒグラシは梅雨の終わり頃から10月初旬頃までに出現する。ただし、鳴くのは日の出前と日没前の短い時間で、しかも気温25℃前後という条件がある。この日は最高気温35.1℃で、16時半頃に長屋門公園に出かけた。林の中は幾分涼しく、ヒグラシの声で満ちていた。
長屋門公園のアカボシゴマダラ (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2023/09/17
2頭がずっと絡み合って飛んでおり、歩道上に並んで降りたところを撮ったもので、おそらく前にいるのが雌で後ろにいるのが雄だろう。
長屋門公園のアライグマ (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2023/10/22
野生化したアライグマを見たのは初めてである。胴長30センチほどの若い個体で、始終クルルっと鳴いているのでそれが通常運転のようだ。威嚇では低く唸り声を出したりシャッとかシャーと鳴くそうである。警戒心は低いようで、あまりに近づくと木陰に隠れたり木に登ろうとするが、2メートルほど離れていれば地面に鼻を近づけて餌探しに没頭しだす。
長屋門公園のカルガモ (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2024/04/28
左の尾の縁の白さが際立っている方がカルガモのメスである。初めは2羽とも1メートルほど離れた小橋の下にいたが、メスが食事に出てくるとオスが寄り添うようについてきて岩の上に陣取った。メスが草を食べることに集中している間、オスの方は辺りを警戒しているようである。
長屋門公園のカルガモ (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2024/04/28
オスが小さく鳴いて注意を引くとメスが振り返った。カルガモはほとんど単独で見かけることはなく、たいてい夫婦か家族と一緒に行動している。
長屋門公園のカルガモ (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2024/04/28
オスの方は何かに気づいており、メスは食事を中止している。その時は自分が近づきすぎたかと思ったのだが、まったく違っていた。
長屋門公園のカルガモ (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2024/04/28
オスはメスを誘導して葉陰に隠れて移動するのを見送ると、自らは小橋の方に戻っていった。
長屋門公園のカルガモ (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2024/04/28
後ろから鳴き声と共に激しい羽音がした。振り返ると、メスを奪いにきた余所者にオスが向かっていくところだった。もっとも、自分には2羽のオスの区別はつかず、この筋書きは逆かもしれない。つまり、メスは争いに巻き込まれまいと逃げ出し、オスは出遅れて橋の下に避難したものの余所者に追い出された。
倒木したシラカシ (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2024/05/02
行く手が倒木で塞がれていた。たぶん昨日の雨で地盤が緩み、根が緩んできていた木が倒れたのだろう。崩れた土砂は見えない。
倒木したシラカシ (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2024/05/02
擦れ違った3人が3人とも遊歩道ではなく小川沿いの草深い小道を歩いてくるので不思議には思っていたが、遊歩道の方は完全に塞がれていた。
倒木したシラカシ (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2024/05/02
まだ朝9時で撤去作業はこれからだろう。長屋門公園は1992年7月に開園した自然観察のための自然公園だが、そもそもが原生林ではなく里山で、人々が生活に利用するために出来た里山である。
倒木したシラカシ (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2024/05/02
シラカシ1本だけでなく何本か一緒に倒れたようで、10メートル以上の範囲が人の高さほどの高さで道が塞がれており、小川沿いの小道がなければ回避できない。人がいれば下敷きだろうが、そんなニュースはなくたぶん夜間に倒れたのだろう。この2年でも何度か倒木の後に出くわしているが、これまでの中では最大規模である。
倒木したシラカシ (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2024/05/02
長屋門公園は小川と斜面の高低差が15メートル近い地点があり、20メートルほどの高木も見られる。直前に樹林育成中の看板を写していたが、「樹林育成」のためには伐採が必要である。里山は生活のために手入れされてできた景観であり、公園もまた同じように放って置くのではなく保全していかないと崩壊を免れない。
倒木撤去後 (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2024/05/05
瀬谷土木事務所の「倒木注意」の掲示。日常の手入れは管理人や近隣の住人、ボランティア会員といった人々だが、横浜市の公園や街路樹、緑地などを監督・維持・管理する元締は地元の土木事務所である。
倒木撤去後 (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2024/05/05
自分が遭遇した倒木現場を土木業者が片付けた跡を見ることは少なくはない。規模の大小に関わらず倒れた木や後片付け、倒れそうな木は公開しないまでも初期から撮りたくなったのは、たぶん防衛本能的なことだろう。落ちてくる枝葉や木の実、様々な音が何を意味するか気づくには五感を研ぎ澄ませるしかない。
倒木撤去後 (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2024/05/05
これは業者が恣意的に様々な状態の樹木を並べて撮影したものだろう。しっかり目線の位置にある。自分の会社も事故の大小に関わらず現場写真で社内周知している。積まれた木々の木口には真新しいものもあれば、空隙だらけで潰れたものや無数に裂けたものもある。木の健康状態は見かけからだけでは判らないので、樹木医などは専用の道具を幹に刺して確認する。
倒木撤去後 (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2024/05/05
この公園はジョギングしている人もいれば老人が散歩していることもあり、家族連れで遊びに来る人たちもいる。自然の景観や森林浴を愉しむ人々はお客様で、整備された公園しか見ていない。
長屋門公園のヤマサナエ (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2024/05/05
ヤマサナエとしたものの上からしか撮れていないので、ほぼ斑紋のみの判別である。『かながわの自然図鑑②昆虫』(神奈川県立生命の星・地球博物館編/有隣堂)によれば「大型のサナエトンボで、用水路や河川中流などで見られる。人里環境が生息圏のため、開発の影響で、近年、とくに東部で激減している」とある。環境も体長70ミリ前後というのも一致はする。
長屋門公園長屋門ほか改修工事 (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2024/11/17
長屋門公園は施設改良工事中で、数か所が立入禁止となっていた。この辺りの公園緑地は三ツ境にある瀬谷土木事務所の管轄区域で、発注者も同事務所となっている。施工業者は入札で決められる。
長屋門公園長屋門ほか改修工事 (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2024/11/17
1週間前から工事が始まっていたようだが、この日は施工業者は見当たらず施工箇所も通過可能だった。週休2日工事で、内容は老朽化した木道デッキや木道基礎の改修である。
長屋門公園の菊花展 (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2024/11/17
長屋門の古民家で菊花展が行われていたが、入りはしなかった。
長屋門公園長屋門ほか改修工事 (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2024/11/17
長屋門自体も改修中である。
小菊盆栽展示 (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2024/11/17
小菊というのは花が小さい菊の園芸品種を指す名称である。
長屋門公園長屋門ほか改修工事 (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2024/11/17
こちらは長屋門の建物改修工事の方の公示である。発注者は横浜市建築保全公社で、入札は三洋工業が取っている。こうした建設現場には労災保険関係成立票が掲示される。元請事業主には労災保険への加入義務があり、下請負人が補償を受けられるようにしておく必要がある。黄色い掲示物は建退共のもの。
長屋門公園ほか2公園施設改良工事 (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2024/12/22
長屋門公園の方も一部工事中だったが、散策デッキは既に新調されており、年末には予定通り終わりそうである。
長屋門公園の紅葉 (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2024/12/22
紅葉が美しいかどうかは子供から大人まで誰でも自分で評価できる。植物の名や何故紅葉するのかといったことを理解している必要はない。紅葉以外のあらゆる事物、たとえそれが初めて見知った事物に対しても用いることができる。しかし、美醜の尺度は個々人によって異なり、同じ景色が常に同じ感性を呼び起こすわけでもない。
長屋門公園の紅葉 (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2024/12/22
美しいかどうかには知識も判断も要らず、何にでも勝手気ままに当て嵌めることができる。評価や価値観は個人の頭の中のことである。知識も同じことで、情報収集して頭の中の理解で満足してしまうと、実際に試したり確かめたりといった行動をせず現実には手を伸ばさなくなる。つまり、知っているだけで判ろうとはしない状態になる。自分はそこから何とか抜け出そうとしてきた。
張替え終えたウッドデッキ (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2025/01/13
予定通り昨年末に散策デッキの交換は終わったようである。
長屋門公園の湧水池 (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2025/01/26
長屋門公園の湧水池周辺には降雨時に周囲から流れ込む水量も多く、湿地帯が広がっている。
長屋門公園 (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2025/01/26
昨年の豪雨後に訪れた時には石段の両側に雨水が流れ続け、小川と湿地に注ぎ込んでいた。
緑政局の丸型照明灯 (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2025/02/09
照明灯に気付いたのは今日で、1月に来た時には気づかず、以前の写真を見返してもまったく映っていない。と言っても、くまなく撮影しているわけでもなく全てが目に入るわけでもないので、最近設置されたとも言えない。
緑政局の丸型照明灯 (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2025/02/09
蜘蛛の巣がかかっているので照明であることは確かだろう。北側の道路と並行した遊歩道の照明とは形が違うので少なくとも設置時期は異なるはずである。しかし、真新しくもない。
緑政局の丸型照明灯 (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2025/02/09
ポールにはラベルがあり「緑政局 2-2-3」とある。横浜市緑政局は2005年4月1日に下水道局と統合して横浜市環境創造局になったので、少なくともラベルは20年以上前のもので、要らなくなった照明灯の使いまわしといったところだろうか。
照明灯の緑政局プレート (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2025/02/23
ふと、園内で照明灯が移設されている可能性に気づき、緑政局のプレートを確認した。プレートの材質と表示形式、そして古さもウッドデッキのものとまったく同じである。
照明灯 (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2025/02/23
照明灯の型はやはり違っていた。もしかすると、近い番号か同じ型の照明灯が見つかるかもしれない。見つからなくてもどうということもないが、これを仕事にしている人もいる。
安西家の主屋 (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2025/02/23
長屋門の中に入らないのは、古民家に興味がないからではなく、一人で気の向くままに見たいからである。
茅葺き屋根 (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2025/02/23
ハニカム構造のシートで茅葺屋根が覆われている。光の反射で白く見えるが、黒いメッシュネットである。網戸の黒いネットと同じように近づかなければ何も無いように見えて目立たない。茅は燃えやすいので防火が主目的かもしれない。
茅葺き屋根 (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2025/02/23
茅葺き屋根を支える主な材料は木材と竹で、竹は茅を固定するための「竹桟」として使用され、茅を均等に並べる役割を果たす。
長屋門公園案内図 (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2025/02/23
案内図の主文に、「広さ3.5ha」、「農村生活の魅力を再生しています」とある。自然観察林には「斜面に残る樹林には40種類に上る野鳥がやって来ます」との説明があるが、自分はまだ3分の1ほども見ていない。
製糸場跡の説明パネル (横浜市瀬谷区長屋門公園) 2025/02/23
「境川沿いの畑作地帯である瀬谷区は、横浜市域で最も養蚕・製糸業が盛んで、区内には10か所の製糸場が建ち並んでいました。/阿久和には、改良合名会社と大剛館の製糸場があり、人や馬車の往来で賑わっていたことから「江戸阿久和」と呼ばれていたといわれています。/改良合名会社は、明治24年(1891)2月、北井要太郎が中心となり起業した製糸場で、明治32 年当時は職工155人が働いていました。生糸年生産量は約2,550kg、敷地面積3,000㎡、工場5棟、 繭倉、座繰場、汽灌(ボイラー) (ボイラー) 室などがあり、大正元年(1912) まで操業を続けていました。/大剛館製糸場は、明治27年(1894)3月に、 大岡源兵衛が起業した製糸場で、明治42年 (1909) 頃まで操業していました。敷地面積は、 1,500㎡で、明治37年頃には職工41人が働いていました。」
Yellow Roof 's Museum